うちゃぎたいむ。

きょんまるの日々をかいてみるブログです。

【静】会社を辞めた!のこと。

f:id:kyonmaru:20170621200327j:image

こにゃにゃちは!
きょんまる@写真は、函館ラーメン五稜郭@荻窪 です。

 

さて。

 

もうこの12年程お勤めしたWeb制作会社を、この6月末で卒業しました。

いわゆる退職というやつですけど、ここでできることはやりきった気がする!と思うので、気持ち的には卒業という感じです。

 

ここから先は、別のステージでまたがんばろー!
退職すると、それまでのキャリアの半分くらいにスペック落ちるので、
もっかい積み上げる気持ちでいこうっと!^^

 

FBに、ながいエントリを投げたら、元同僚であり元旦那さんが、こんなコメントをくれました。

うまいこと書いてくれるので、記念に残しておこうと思います。

 

 

 

。。。以下引用。。。

 

僕が入社したときには、
イラスト描いて、Webデザイン、コーディング、細かなドットデザイン作ったりと、
デザイナー的な職種だったのが、
母親兼業から就業時間を短縮せざるを得ず、
デザイナー職から経理・総務と事務方にコンバートして、
3年程度で労務にまで対応業務の幅を広げて、母親兼業を卒業してからは、
SNS担当やカンファレンスの講演など、広報にも手を伸ばし、
事務職の傍ら小さく続けていたデザイナー職にも立ち戻り、
プロジェクトにおいては作業者から管理者に職位をあげて、
さらにはサービスの企画や立ち上げにも果敢に挑戦し、
あまつさえここ最近は営業担当・渉外担当まで活躍していると聞きました。
書き連ねると流石にすごいね。

 

あんまり言われないかもしれないけど、ほんと仕事にストイックだよね。
仕事以外のところ潔く犠牲にしがちなところは見習わないようにしてます。
まぁ、仕事がプライベートになってるならそれでいいのかしら。。

 

ともかくお疲れ様でした。

 

。。。引用おわり。。。

 

 

 

仕事がプライベートってわけではないんだけどw
でも、これからも、楽しく生きていくためのお仕事をしていこーと思います。

えいえいおー!

今年はわたしの言葉で書いてみようと思った のこと。

f:id:kyonmaru:20170109221720j:plain

 

寒中お見舞い申し上げます。
毎日寒いですね。(冬だから)
みなさま、いかがお過ごしですか?

しばらく個人ニッキは書いてなくて、
スタジオ・アルカナの会社ブログだけ更新してたのだけど、
今年は久々に自分のニッキを書くことにしました。

 

年末年始に実家に帰った時に、
高校生の時に毎日つけてた「Volleyball日誌」というのが出てきたんですよ。

内容は、当時の部活の練習内容と、勉強の内容と、その日の感想。

顧問の吉田先生に「毎日書け」と言われて、
全員毎日書いて、毎日先生に提出して、毎日それが返ってくるという、
そういう日誌。

 

懐かしくってわくわくしながらページをめくったら、
最初が高校2年の時のページだったんですけど、
書かれてる内容がしょぼいことしょぼいこと。

自分の中の記憶では、「すっごく真面目に練習してた」イメージだったんだけど、
日誌の中の自分は、文章もしょぼければやってる内容もしょぼくて、

「なんじゃこりゃ〜〜〜〜」

ってなった。
いまの自分が当時の自分の先生だったら、超絶怒ってるやつだった。
てめぇ、人生なめとんか!!って。

 

がっかりしながらページをどんどんめくっていくと、
3年生で意識がすごく変わったのがわかった。
1年生に、他校からスカウトしてきた選手が大勢入ってきたのだ。

これまで、上級生になれば必ずレギュラーになれるものだったのが、
そこで大きくルールが変わった。
レギュラーの半分が1年生になった。
ユニフォームを着られない3年生も出てきた。
それは、意識を変えるには十分な条件だったのです。

 

わたしは、上級生だからっていばる先輩ではなかったし、
そして、自分がそんなに上手ではないことや、
わたしの存在意義が「声出し」や「雰囲気作り」にあることに気づいてたから、
率先して後輩に教えを乞うことをした。

レシーブ、補助トス、スパイク、サーブ

ほとんど全部、1年生と組んで教えてもらった。
そしてなんとか、わたしはレギュラーに残ったのだった。

 

2年生のときのわたしは、
「練習がしんどい」「早く帰りたい」「なんでおとりせなあかんの?」
っていう、よくいる足を引っ張る方の部員だったけど、
3年生のときのわたしは、
「どうやったらもっとうまくなるのか」
「どうやったら役立てるのか」
「どうやったら勝ちに貢献できるのか」
を、ずっと考えてる選手になっていた。

残り少ない部活の時間、いかに効率良く練習できるのか、
どうしたら次の勝利に結びつく行動がとれるのか、
そして、これまで怠惰に過ごしてしまった過去の自分を後悔していた。

 

わたしの中の記憶は、この3年生の時のことだったのだ。
ここが鮮烈すぎて、この記憶だけがバレー部時代のわたしだった。

だけど、実際は違ってたのだ。

わたしは、目の前に越えないといけないものを突きつけられたから、
変わらざるおえなくなって変わったのだ。
自分が変わってでも、得たいものがあったから変わったのだ。

レギュラーになりたかった。
試合に勝ちたかった。
役に立ちたかった。
みんなで笑いたかった。

それを可能にするためには、変わってしまったルールに臍を曲げるのではなくて、
積極的に自分が変わらなくてはならなかった。
そして結果、意識が向上したのだった。

 

偶然見つけた日誌を読んで、自分の記憶が修正された。

これ以外にも、交換日記やいろいろ見つけて、
この帰省では、記憶の再構成をたくさんしたのだった。

 

でね。

 

こりゃ、思ったこと、どっかに書いとかないといけないなって。
改めて思ったのだ。

人は流れの中で生きてるんだけど、一番印象深い記憶が残っちゃうことがある。
ほんとはいろんな流れの一つでしかないのに、そう思ってしまうことがある。
それは悪いことではないけど、わたしは今回、記憶を再構成することで、
いまのわたしが抱えてる問題のひとつを「許容する」ことができたのでした。
そして、ちょっぴり楽になった。

未来の自分にも、いまの自分がそういう役に立てばいいと思う。

そんな気持ちで、今年は、
自分の言葉でニッキを書いてみようと思ったのでした。

 

未来の自分へ。
いまのわたしはこんなだよ。